2021.04.22

Masters is my life

当社がTBSとマスターズを日本に中継を始めて46年目になりますが、ご存じの通り、松山選手がアジア人初のチャンピオンとなりました。

個人的には私にとって44回目のマスターズでしたが、放送を始めた頃の事を思い出しておりました。

当時、日本でのマスターズ中継はアメリカCBSの中継を録画したものを1週間遅れで放送しておりましたが、当社の創業者、藤田敦が交渉して放映権を入手し、生放送に至りましたが、その時のオーガスタ側の窓口がウォールさんというクラブの総支配人の方でした。非常に豪快な方で、当時の会長のクリフォード・ロバーツ氏の絶対的な信頼を受けており、日本とのビジネスを全て仕切って、日本から来た当時21歳だった私も暖かく迎え入れてくれた方でした。

当時は2月ぐらいからオーガスタに入り、現地の手配などをやっていたのですが、急遽オーガスタに送り込まれて、最初は右も左も分からない私を最初の2日間はクラブハウスの2階のクローズネストに泊めてくれたり、我々のためにクラブ内に部屋(トレーラーハウスですが)を用意してくれたり、、今では考えられない事をしてくれました。

極め付けは、当時のサントリーのコマーシャルに依頼してオーガスタの映像とともに出演していただいたり、とにかく全ての仕事を仕切っていた方です。クラブハウスで撮影までしてくれたんですから、、、

後で、聞いたのですが、ウォールさんは1961年からマネージャーとして働いていたそうですが、当時メンバーだったアイゼンハワー大統領がクラブの食事に飽きたりすると、こっそり二人でピザとビールを楽しみにオーガスタの街に出かけていたそうです。大統領の飲み友達??など今ではとても考えられませんね。

日本にも何度も来日し、我々との打ち合わせや、もちろん飲み会も楽しんで、現在のオーガスタと我々の関係を正に作り上げてくれた張本人でした。

残念ながら、ウォールさんは1978年の9月に、オーガスタナショナルの近くで飲酒運転の車との自動車事故で43歳の若さで亡くなってしまいましたが、今回の松山の優勝をあの世で当社の創業者たちとサントリーウイスキーを飲みながら祝ってくれているかと思います。

いろんな方の努力で今に至っている事を再認識させられる思い出です。。。この方がウォールさん、 本当にMasters is my life!の方でした

 

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